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いまさら聞けない錦織圭。経歴や戦歴、強さの秘密や弱点を徹底解説

いまさら聞けない錦織圭

2014年の全米オープン、アジア出身選手として初のグランドスラム決勝進出を果たし、一躍脚光を浴びた錦織圭。

今ではスポーツの垣根を越えて「超有名人」となった彼ですが、いったいどのようなキャリアをたどってきたのか。そのルーツと共に、プレースタイルや特徴についてまとめました。

プロ転向後の経歴、評価

まず錦織の経歴について辿っていくことにしましょう。
世界的なプレーヤーとなるまでの軌跡を年代別に紹介したいと思います。

テニスとの出会いから青年期まで

1989年12月29日、島根県松江市に生まれた錦織がテニスと出会ったのは若干5歳の頃。ラケットを握り始めてまもなく、地元のテニススクールに通い初めたところから彼のテニス人生は始まります。

小学生の頃より全国大会優勝などの実績を残し、あの松岡修造氏もその才能に驚嘆としたと言われるほど彼は幼いころから才能あふれるテニスプレーヤーでした。

ただ、後に松岡氏も話していたように当時は「表現力」や「メンタル」に懸念があった錦織。昨今メディアでもよく取り上げられる松岡氏主宰の修造チャレンジで錦織が涙を流している姿はこの頃の出来事です。

とはいえ、修造チャレンジの中で高校1年生に勝利する離れ業をやってのけるなどし、今思えばこの頃から「モノが違う」選手だったのかもしれません。

プロ転向までの経歴

中学生になった錦織は「盛田正明テニス・ファンド」の支援を受け、単身渡米。あのシャラポワやアガシも通っていたプロアスリート養成学校、IMGアカデミーでテニス漬けの毎日を過ごします。

ここでも錦織はその才能をいかんなく発揮し、ジュニア大会にて若干14歳で優勝を飾るなど、順調にその才能を伸ばし続けてきました。

15歳で参戦した全米オープンジュニアでは3回戦進出、翌年2006年の全豪・全仏オープンジュニアではともにシングルスベスト8、さらに全仏ではジュニアダブルス優勝という快挙を達成します。

この頃より、ジュニアにとどまらずプロテニス界でも錦織の名は広まり始め、2006年シーズン終了時には世界ランキングで日本人10位につけるなど、早くも日本ではトッププレイヤーの一人として数えられる存在となっていました。

そして2007年10月、17歳9か月という若さでプロ転向。本格的にプロとしてのツアー参戦が始まります。

プロ転向後の経歴、評価

プロ転向から半年と経たずして、錦織はいきなり大偉業を達成しました。

プロテニスツアー、ATPの大会である「デルレイビーチ国際テニス選手権」にて、予選から一気に優勝をもぎ取るという快挙を成し遂げたのです。(A・ズベレフが2016年に優勝するまで、2008年から10代のツアー優勝はなし)

決勝の相手は当時世界12位。対する錦織は244位。戦前の予想を覆し若干18歳の「無名の日本人」が起こした番狂わせはテニス界に衝撃を与え、「Kei Nishikori」の名を世界に知らしめた瞬間でした。

ちなみにこの頃対戦したラファエル・ナダル(グランドスラム優勝通算15回)は「彼は数年後には世界10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とのコメントを残しており、事実、錦織はその予言を現実のものとします。

プロ転向後、いくつかの大けがやスランプを乗り越えながらも着々と実績を積み重ね、ついに2014年、あの全米オープン決勝進出という衝撃を経て「世界第5位」にまで昇り詰めたのでした。

錦織のプレースタイル、特徴、弱点は?

名実ともに今やトッププレイヤーとして名を連ねる錦織。
その「強さ」自体はランキングが証明していますが、具体的に優れている点はどのような部分なのでしょうか?

テニスの特徴や強み、また逆に弱点についてもここから解説したいと思います。

プレースタイルは意外にも攻撃的

身長178cmの錦織。190cm、200cmオーバーもざらにいる男子テニス界では小柄な部類に入りますが、意外にもディフェンシブなプレースタイルではありません。

「世界屈指のリターナー」と呼ばれる程のリターンで相手にプレッシャーをかけ、返ってきたボールを早いタイミングで叩く「打ち合いに強いプレーヤー」です。

特に調子が良い時の錦織は、より早いタイミングでボールをコート全面に打ち分け、相手に「打たせない・準備させない」プレーが出来る選手。体格のハンデをもろともせず、強力なショットを持つ外国人選手とも互角に渡り合えるのは、このような「時間を奪うテニス」が持ち味だからでしょう。

また、単に打ち合うだけでなく、意表を突いた絶妙なタイミングでのドロップショット、相手に読ませない意外性のある配球も錦織の強みと言えます。

弱点はメンタルとサーブか

先に言っておきますが、錦織は決してメンタルが弱い選手ではありません。

そもそもメンタルの弱い選手が世界ランクトップ10に長く滞在できるほどテニスは甘くない。しかしながら錦織は特に負ける時はミスが多い形、いわゆる「自滅」が多い選手でもある為、その印象がメンタルの弱さとして捉えられているのかもしれません。(ミスが多いのはメンタルが弱いから、といった理屈)

実際、メンタルの浮き沈みは確かに課題と言えるでしょう。

本人も敗戦後に、「あそこで気持ちが…」「切り替えがうまくできず…」などと語ることも多く、気持ちの切り替えやメンタルコントロールが今より向上すれば、更に安定感のある選手となれるはずです。

そしてもうひとつ。錦織の弱点について議論される中でもはや定番とも言えるのがサーブです。

前述のとおり小柄な錦織にとってサーブは現在も大きな課題であり、サーブをうまく叩かれて自らのサービスゲームで苦しむ姿は最近になってもちらほら見受けられます。

スピードだけ取ってみても、錦織はひとつの大会でのファーストサーブ平均速度で、参加選手中40位以内に入らないこともざら。ましてやセカンドサーブともなると70位台になるケースも少なくありません。

もちろんサーブはスピードだけでなく配球や球種の工夫も大いに重要ではあるのですが、打ち合いに強い錦織の場合は特に、「サーブが狙い目」だと思われても仕方ないでしょう。

ただ、相手のサービスゲームブレイク率について高い確率を誇る錦織としては、「取られても取り返せば良い」ぐらいの気持ちは本人も若干持ち合わせているのかもしれません。

おわりに

錦織についてはケガも大きな課題ではありますが、プレースタイルとはまた別の話になる為今回は割愛しました。

若いころから華々しい活躍をしてきた錦織。テニス選手として最も脂の乗ってくる20代後半を迎え、これからまたどのような形で私たちを驚かせてくれるのでしょうか。

今後も引き続き、注目したいと思います。

ABOUT ME
斉藤六
斉藤六
幼少期から学生時代まで野球漬けの毎日を過ごす。 20歳になったのを機に、アメリカ一人旅、ヒッチハイク日本縦断などにチャレンジ。 その後錦織圭の登場でテニスにハマるが、ある日ふと目にしたひとつのテニスコラムに感銘を受け、ライター活動を開始、現在に至る。 テニス、MLBを始めとしたスポーツ関係だけでなく、グルメやダイエット関係の記事も執筆中。