今や正真正銘のトッププレイヤーとなった錦織圭。
しかし、そこに至るまでの道のりは順風満帆と言えるものではありませんでした。
華々しいデビューを飾った翌年の大けが、トップテン目前にぶち当たった重圧の壁。
数々の困難を乗り越え、今の錦織圭があります。
今回は過去の錦織の試合を振り返り、その中でも特に印象的なゲームを4つピックアップしました。
これを見れば、ますます錦織圭にハマるかも…?
目次
2008年デルレイビーチ決勝(対ジェームズ・ブレイク)
錦織の名を世界に知らしめた「初優勝」の試合はやはり外せません。
当時の錦織はデビューしたての若干18歳。ランキングは244位と、数ある若手選手の一人に過ぎませんでした。
この大会自体も予選を勝ち抜いてようやく本選への出場権を手にしており、当然優勝候補とは無縁の存在。しかし、本線が始まるや否や、あれよあれよと勝ち上がり遂には決勝の舞台まで駒を進めたのでした。
決勝の相手は、当時テニス大国アメリカのNO,2であるジェームズ・ブレイク(自己最高世界4位)。下馬評では当然ブレーク有利の声が圧倒的に多く、事実、決勝戦も第1セットをブレークが6-3であっさりと奪います。
ところがこれで吹っ切れたのか、錦織は突如として息を吹き返しました。
身体全体をボールにぶつけるような強烈なフォアハンド。警戒してブレイクが構えたところで繰り出される絶妙なドロップショット。そして極めつけは、今や錦織の代名詞ともなったジャンピングショット「エアK」。
荒削りながらも18歳とは思えない繊細さと大胆さを持ち合わせた錦織のプレーに、会場は異様な雰囲気に包まれます。
結果的に第2セット以降はスコアでもブレークを圧倒。6-1、6-4と2セット連取で逆転勝利をもぎ取り、遂に優勝という番狂わせを演じたのでした。
優勝の瞬間、他の誰でもない当の錦織自身が一番驚きの表情を見せていたのは今でも印象的です。
2014年全米オープン準決勝(対ノバク・ジョコビッチ)
日本での錦織人気に火をつけたこの試合。
実はテニス界においても、錦織がジョコビッチを倒した衝撃は相当なものでした。
何と言っても当時のジョコビッチはランキング1位。全米オープンが始まってからも4回戦まで1セットすら落とさない盤石ぶりを見せつけます。
かたや錦織は、右足親指の嚢胞(のうほう)摘出手術を受けた直後の復帰戦。
怪我の回復具合も不安視されており、更には準決勝に至るまで2試合連続で4時間越えのフルセットを戦い抜いた後という、コンディション面のハンデも大きいように思われました。
実際、ブックメーカーのオッズでもジョコビッチ1.11 vs.錦織6.64と圧倒的に錦織不利と予想されます。
しかし、ノッた時には誰もが予想しえないほどのポテンシャルを発揮するのが錦織。俗に言う「爆発力」というやつでしょうか。
この試合はまさに“それ”が発揮された試合でした。
本来得意とは言えないサーブでジョコビッチを苦しめ、得意なリターンも抜群。更にはストローク主体のジョコビッチに真っ向からぶつかり、ほとんどの場面で圧倒して見せたのです。
終盤にはジョコビッチのメンタルが折れてしまったのでは?と感じるほどの勢いで一気に試合を畳みかけ、隙を見せません。
最終的には6-4, 1-6, 7-6(4), 6-3でジョコビッチを下し、日本男子のみならず、アジア出身選手として初めてグランドスラム決勝を果たしたのでした。
2014年楽天ジャパンオープン決勝(対ミロシュ・ラオニッチ)
この試合は錦織が初のグランドスラム決勝進出を果たしたわずかひと月後、地元日本で行われたものです。
錦織は昔からケガに悩まされがちな選手であり、そんな中で全米決勝、翌大会のクアラルンプールで優勝と、連戦続きの中で迎えた大会でした。
過去の流れから行くと、やはりケガや疲労により途中リタイヤもやむなしと考える人も多かったことでしょう。
ところが周囲の不安をよそに、激戦を制して決勝までたどり着いた錦織。決勝の相手は、2012年に同大会決勝で当たったのと同じ相手、カナダのミロシュ・ラオニッチでした。
ラオニッチは196cmの長身を生かした強烈なサーブを武器にしており、肉体が限界に近づきつつあると思われる錦織からすれば嫌な相手です。
しかし、錦織は食らいつきます。
得意のストロークで有利に持ち込み、ラオニッチにブレイクを許しません。
対するラオニッチも譲らず、第1セットは7ポイント先取のタイブレークにまでもつれました。
ここでも一進一退の攻防が続きますが、先にチャンスを迎えたのは錦織。6-5でのセットポイントにてラオニッチの強烈なサーブを何とかリターン、さらにコート深くへ返ってきたボールをハードヒットします。ネットに詰めていたラオニッチは右手を必死に伸ばしますが、コート右奥から鋭角に放たれたボールはラケットの先をすり抜け、コート反対側の左奥へと決まりました。
まさに鳥肌もののショットで第一セットをモノにした錦織。今思えば、ここがこの試合のターニングポイントだったのかもしれません。
その後、第二セットこそ3-6で落としたものの、第3セットは一気にまくし立ててラオニッチを圧倒、6-0で奪った錦織が遂に優勝の栄光をつかみ取ったのでした。
しかし、本当のドラマはまだここから。目を疑う光景が広がったのは試合が終わった後のコート上でした。
ラオニッチと握手を交わした後、倒れ込むようにしてコートへ大の字に寝転がる錦織。起き上がったその時、錦織の目には涙が浮かんでいました。
肉体的、精神的な限界を超えたこの勝利は、錦織自身にとっても大きな壁を乗り越えた瞬間だったのでしょう。人目をはばからず涙を流すその姿は、錦織ファンならずとも胸を打つ光景だったはずです。
試合内容だけでなく、そこに至るまでのプロセスも含めて、この試合は錦織圭を語る上では外せない試合と言えるでしょう。
2014年マドリードオープン決勝(対ラファエル・ナダル)
この試合、結果から先に言えば、錦織は負けました。
正しくは途中棄権になりますが、ベストゲームとして負け試合を選んだのには当然ワケがあります。
単純に、この試合の錦織は「恐ろしく強かった」からです。
マドリード・マスターズはグランドスラムの次に大きいクラスの「マスターズ1000」に属する大会で、土のコート(クレー)にて行われます。
決勝戦の相手は「赤土の王者」ラファエル・ナダル。元世界ランク1位であり、何とクレーコート81連勝という記録を持つ、まさに土の怪物でした。
対する錦織はツアー優勝のほとんどがハードコートを占めており、この頃はクレーコートの適性がまだ不透明な時期。
決勝まで昇りつめたとはいえ、さすがにナダルから勝利をもぎとる程の期待値は、日本人ですらほとんどの人が持ち合わせていなかったことでしょう。
しかし試合が始まってみると、そこには誰も見たことのない錦織圭がいました。
所狭しとコートを駆け回り、ことごとくナダルのボールを返球。少しでもチャンスと見るや、針の穴を通すようにコート全面へとボールを打ち分けます。
目の前に土の王者がいるにも関わらず・・・決して大げさでなく、錦織がクレーキングかのような光景が続きました。
第一セットはスコアでも圧倒し6-2で先取。
突如として現れた強敵に、若干の混乱すら感じさせるナダルを尻目に、第2セットに入っても錦織の勢いは止まりません。
4-2とナダルをリードし、いよいよあと2ゲームで初のマスターズ1000優勝、それもクレーコートでナダルに勝って優勝という偉業が近づいてきます。
ところがここで錦織に突如として異常が…。
突然ボールを追わなくなったかと思うと、メディカルタイムアウト(簡易的な治療)を要求。身体に故障を抱えているのは明らかで、それでも何とか試合を続行しようと治療に専念します。
しかし。実はここでもう錦織の身体は限界に達していたのでした。
治療後も足を引きずり、ボールが追えない、打てない。
あれよあれよとナダルに巻き返しを図られ、、第二セットを奪われた後の最終セット、0-3となったところで遂に棄権を申し入れます。
残念…、いや、残念という言葉では語れないほどあまりにも残酷な現実でした。
本当に「勝利」はもうすぐそこまで迫っていたのです。とにかく、故障するまでの錦織は「驚異的」の一言に尽きました。
事実、現地スペインのベテランテニス記者ですら試合中に、「ナダルがここまでコテンパンにやられるのは一度も見たことがない」との言葉を発したほど。
更には試合後にナダルのコーチまでもが「我々は勝者にはふさわしくない。錦織のプレーは終始、我々の上をいっていた。今日はすごく幸運だった。」と、相手陣営ですら錦織の強さに驚嘆していました。
ケガに泣かされ栄光をつかみ損ねた錦織。
しかし残念であると同時に、「日本人男子初のグランドスラム制覇も夢ではない…」と、この試合を見た人はそんな期待も抱けたのではないでしょうか。
そう考えると、敗れたとはいえ錦織の強さを語るうえではやはり外せない試合だと言えます。
おわりに
今回は錦織の印象的な試合をいくつか振り返ってきましたが、もちろん他にも数々の激戦を錦織は戦い抜いてきました。
そしてこれからも、私たちの胸を熱くさせるプレーを見せてくれることでしょう。
この先100年経っても現れるか分からない、天才日本人テニスプレイヤー「錦織圭」。
この時代に生きられた自分の幸運に感謝しつつ、今後も見守りたいと思います。